THine Value 半導体メーカーのEMC対策顛末記、ラズパイ用カメラ延長キット製品化の苦労の先に見たV-by-One HSの実力

2022.04.01
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 電子機器の開発や設計に携わるエンジニアであれば、EMC規格への適合作業は手慣れたものだろう。開発した電子機器のEMI/EMS特性を測定し、問題があればコモンモード・チョーク・コイルやEMIフィルタなどで対策を打って、EMC規格が求める規制値をクリアする。こうした一連の作業が身に付いているはずだ。

 しかし当社は、ファブレス半導体(IC)メーカーである。IC製品はEMC規格の対象外だ。IC製品の評価に向けたボードを自社開発してユーザーに提供しているが、EMC規格には「評価用や教育用の電子機器は除外する」という内容が記載されており、これらも対象外である。つまり、いずれも認証を取得する必要はない。ただし当社は高速信号伝送向けIC製品を得意としている。それを担当するエンジニアたちはノイズの発生を抑え、耐性を強化した製品の開発/設計に必要なEMC対策技術やEMC測定技術に関する豊富な知識を身に付けている。「EMCのエキスパート」と言って過言ではない。しかし、IC製品単体では通用した当社のEMC関連技術だったが、IC製品を適用したモジュール製品として一般ユーザーに広く使用してもらうには、ユーザー側での使い方を意識する必要があった。

新しい取り組みに挑戦

 当社は2020年に入って、当社のIC製品を搭載したモジュール製品の開発に着手した。目的は、当社が持つIC製品をより多くの人に使ってもらい、ユーザー層を広げることにある。

 最初に開発に取り組んだのは、長距離伝送キット「Cable Extension Kit for Raspberry Pi Camera」である(図1)。シングルボード・コンピューター「Raspberry Pi(ラズパイ)」とカメラモジュールを接続するケーブルの長さを大幅に延ばす用途に向けたもの。このキットには、当社のV-by-One® HS(*1)技術を適用したトランスミッタ/レシーバICを搭載した。
 
図1 長距離伝送キット

 開発は順調に進んだ。それと並行して、「EMC規格への適合が必要か否か」という調査にも着手した。長距離伝送キットは日本国内だけではなく、欧州や米国などで製品化することを検討していた。一般に電子機器を欧州市場に投入するには、EMC指令やRoHS指令などをクリアしてCEマーキングの自己宣言をする必要がある。米国市場であれば、EMCに関するFCC規格などに準拠しなければならない。

 確かに開発当初は、社内に「長距離伝送キットはラズパイとの組み合わせで動作するものであり、キット単体でのEMC規格への適合は不要」と認識していた。しかし、その認識が正しいのか否かの検証が必要だったため、調査に着手したわけだ。そこで、東京都立産業技術研究センター(都産技研)MTEP(*2)の力を借りることにした。海外法規制に詳しいMTEPの専門相談員との打ち合わせを通じて、「個人ユーザーがECサイトで購入してそのまま使うモジュール製品は、EMC規格への適合が必要」と認識を新たにした。

環境ノイズに埋もれてしまう

 この結果を受けて、EMC規格への適合に取り組むチームを組織した。メンバーは4人。いずれも、EMCに関して腕に覚えがあるエンジニアである。

 そのチームが最初に着手したのは、ゴールの設定である。MTEPの専門相談員との打ち合わせを数回重ねることで、「CEマーキングの自己宣言の実施とFCC規格への準拠」というゴールを定めた。つまりゴールテープを切れれば、長距離伝送キットにCEとFCCのロゴを刻印できる。

 その次に、CEマーキングの自己宣言とFCC規格への準拠に必要な要件を調査した。着手したのは2020年8月初頭。約2カ月を費やして、必要な試験の種類や規格クリアの条件などを洗い出した。これとほぼ同じタイミングで、長距離伝送キットの最終版の試作品が完成した。これでやっとEMC試験を実施する準備が整った。

 まず事前検証として、MTEPの専門相談員の紹介で、都産技研内の電波暗室を借りて10月26日に実施した。結論から言うと、結果は散々だった。肝心の長距離伝送キットの放射ノイズを測定できなかったからだ。長距離伝送キットは、ACアダプタやケーブル、ディスプレイなどの周辺装置/部品を接続して使う。EMC試験も、この構成で実施する。どうやら、用意した周辺装置/部品から高いレベルの放射ノイズが発生していたため、長距離伝送キットのノイズが埋もれてしまったようだ。ここではじめて、EMC試験では周辺装置/部品のノイズ特性が重要なことを知った。その後、都産技研職員のアドバイスをもらいながら周辺装置/部品を慎重に選定した。
 この選定作業と同時に進めていたのが民間のEMC試験用テストサイト(電波暗室)の予約である。東京近郊のテストサイトを探して、適切な場所に予約を入れたいのだが、なかなか予約が取れない。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で利用できるテストサイトの数が減っており、稼働しているテストサイトは予約で一杯だったからだ。結局、予約を取れたのは約3週間先の11月20日だった。
 
評価風景(撮影協力:e・オータマ東京試験所)

V-by-One® HSの実力が証明される

 11月20日は、EMS試験を実施した。システム構成は、カメラモジュールで撮影した映像信号をラズパイに入力し、長距離伝送キットと長いケーブルを介してディスプレイに送るというもの。このとき長距離伝送キットにアンテナで電磁波を照射し、ディスプレイに表示した映像に不具合が発生しないかを確認した。合否判定の基準は「映像が停止すること」に設定した。このため、カメラモジュールで撮影したアナログ時計の秒針を、約2時間の試験期間中ずっと目視しなければならなかったが、試験は無事完了した。これでEMS関連の規格はクリアできた。

 次はEMI試験だ。12月7日に実施した。この日は、放射ノイズが極めて少ないACアダプタやケーブル、ディスプレイを持参したため、最適な組み合わせを見つけるまでに時間を費やしたが、環境ノイズは抑えられた。最初に実施したCEマーキングの自己宣言に必要なEMI試験はすんなり進み規格をクリアできた。FCC規格への準拠に向けたEMI試験は苦戦し、その日にはクリアできなかった。しかし、対策を練ってEMI試験に臨んだ12月14日には、無事クリアすることに成功。これでゴールテープを切ることができた。
 
評価環境(撮影協力:e・オータマ東京試験所)

 長距離伝送キットは、2021年3月に欧州や米国、日本などで市場投入された。当社にとって、はじめてのEMC規格への適合作業だったが、比較的スムーズに進んだと言えるだろう。なぜならばEMC対策がほとんど不要だったからである。仮にEMI規格などの規制値に収められなければ、技術的に難易度が高いEMC対策作業が必要になり、より多くの時間を浪費してしまったことだろう。

 EMC対策がほとんど不要だったのは、V-by-One® HS技術によるところが大きい。V-by-One® HS技術は、伝送信号の電圧振幅が小さいうえに、8B10B変調の採用で固定伝送パターンが現れないため、EMIのピーク値を抑えられる。もちろんV-by-One® HS技術の採用を決めた当初から、その効果には大いに期待していた。しかし、これほどまでとは思わなかった。まさにV-by-One® HS技術の実力の高さが証明されたかたちだ。

 

* MTEP:輸出製品技術支援センターの略 https://www.iri-tokyo.jp/site/mtep/
* 本内容は、月刊EMC(2021年12月号)に掲載されました